修行仲間の旅立ち

今日、身延で共にご修行した仲間が

故郷へと帰っていった。

 

1年半前、彼は単身身延に移り住み

始めの半年間は、あばら家のような御堂で暮らしていた。

トイレは庭先に穴を掘り、水道もないので

川で洗濯などの洗物をしていた。

 

訪れる人もない山奥でただ一人、

孤独と厳しい寒さに耐えていた。

まるで日蓮聖人様ご在世の生活を

追体験するような先の見えない日々が続いた。

 

長い冬が明け、春先になると

近隣のお寺の留守番として

居を移した。

日常生活に不便を感じることは

なくなったが、山奥の過疎の寺で

孤独と向き合う日常は変わらなかった。

 

ひょんなご縁で知り合った私達は

時折食事をしたり、一緒にご修行をした。

お互い日本山妙法寺にご縁があったこともあり、

甲府仏舎利塔のお掃除に行ったり、国会前へ

ご祈念に行ったこともあった。

 

お互い在家出身で同年齢でもあり、

紆余曲折あって身延山に暮らす者同士、

色々なことを語り合った。

不器用なほど純朴で、真面目な彼に

私自身が救われる想いをした事も多々あった。

 

彼の存在が私の修行生活の励みになり、

私の存在が彼の心を支える一つの励みになっていた。

 

日本仏教の現状、格差社会の僧侶の世界で

嫌というほど様々な労苦も味わってきた同志、

だからこそ、ほんの少しの親切が身にしみて

衆生の恩を感じ、信仰の道に真剣に取り組めたとも

いえる日々だった。

 

そんな中で彼は一つの決断をした。

現状打破のためにも、いったん故郷へ帰ることになった。

故郷に彼が暮らせる寺があるわけではない。

年老いた母親が一人、実家に待つのみである。

僧侶を辞めるわけではない。

今後、どのように生活を立て、自分の納得する道に

進んでいくのか、彼自身にも分からない。

 

唯一つだけ、はっきり分かっていることはある。

「お題目を唱え続けて、そのお導きに進んでいく」

その心構えだけは彼の中に、しっかりとある。

信仰に生きる者として、その気持ちがあれば

大丈夫だ。これは私にもいえることだ。

多くの先師は、それを実証してきた。

 

今回の流れは、彼が1年半身延山で

精進してきた姿に、本佛と日蓮聖人様が

お導き下さった功徳と感じるのは私だけではない。

 

お経本や太鼓を詰めた重いバックと、

頭陀袋をかけた彼を富士駅まで送った。

お互い合掌し、お題目を三唱した後

固い握手を交わした。

 

西日本の故郷に帰り着くのは深夜だろうか。

彼に幸あれ、そして本仏と日蓮聖人様の

加護の元、進むべき道が開かれんことを

心から願い、一人身延山へ戻った。