身延山参詣の帰りに、
知人の庵主さん(尼僧)が
寄ってくださいました。
右側の矢向庵主さんとは、
震災行脚や辺野古祈念で
一緒にご修行させて
いただいております。
純庵主さんには、
NY国連本部までの核不拡散平和行脚や
アメリカの道場で宿泊させて頂いたり
韓国平和巡礼、阿蘇巡礼などで
先導者として大変お世話になりました。
9年ぶりの再会です。
数日前インドから日本に戻られ
今日は身延参詣後に、成田空港へ移動し
夜の便で沖縄に飛ぶという、
「住職」ならぬ「飛職」の尼僧さんです。
純庵主さんは若い頃から単身アメリカへ
渡り、永住権も取得してアメリカの核問題、
先住民族への弾圧等に僧侶として
取り組んでこられた方です。
その真摯な姿勢は、周りのアメリカ人から
絶大な支持を得ておられます。
私は行脚中、寝食を共にする中で
庵主さんから多くの事を学びました。
謙虚であること、人のお世話をすること、
質素であること、人種の別なく誰にでも公平に接することetc・・
アメリカ行脚中は、様々な国籍の方々と
共に生活をします。
食事も賞味期限切れのパンを
頂いてきたり、宿もホテルなどではなく
教会の床だったり、学校の教室だったりと
肉体的精神的に苦痛な時もあります。
そんな中で人間関係に問題が起こった時も
リーダーである庵主さんは淡々と
周りを収めユーモアを忘れず、
それでいて自分は決して驕りません。
翌日の下準備などで誰よりも遅く寝袋に入り、
誰よりも早く起床して、お祈りの準備をされていました。
日中は、フットワーク軽く
太鼓を叩き、お題目様を高らかに唱えて
先導に立ち行脚されました。
幾日もの行脚の夜、
慰労も兼ねて、みんなで
演芸会を行いました。
宿泊場である小学校の教室にあった
ピアノに庵主さんは向かい、
見事な鍵盤さばきで「桜」を
演奏して下さいました。
遠く日本を離れ、日々の行脚で
疲れている私達日本人が心癒されたのは
勿論のこと、アメリカやオーストラリアの仲間達にも
大変、好評でした。
目的地に到着し、
同じ釜の飯を食べた仲間達とも
明日で解散という夜、
皆で庵主さんへ感謝の歌を
合唱したのは良い思い出です。
こうして、人間としても本物のお坊さんと
寝食を共にして、ご修行させて頂いたことは
私にとって何にも勝る財産であり、
信仰とは何か、僧侶とは何か、を
見極める能力を得ることに繋がりました。
何より、この笑顔。
「聖者は、先ず微笑をもって接す」
という古語を体現されていますね。
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