アジアの某国で孤軍奮闘する
御上人様の悲痛な手紙を拝読しました。
御年80歳で、強盗の被害に遭い
所持金を奪われ骨折し、心身共に
崖っぷちに追い込まれたお手紙でした。
以前より自虐的な程、
自責の念が強く、常に苦悩を抱えておられる
御上人様の手紙には
「劣悪・下賎の私ごとき、生き損ないが
これまで仏弟子として生きてこられたのは
全くの奇跡です。」
と、ありました。
若い時の私なら、
「御出家なのに、何を情けないことを
言っておる。そんな気持ちで、どうする!」
と感じたことでしょう。
でも、年齢と多少の経験を重ねてきた今、
その自省の念が謙遜でなく本物であり、
御上人様の苦悩が他人事ではないと
真剣に受け取れるのです。
お坊さんが常に苦悩?
精神を病むなんて可笑しいんじゃない?
いやいや、
真正面から真剣に
向き合っている御方だからこそ
苦悩するんです。
仏教を学んで
物事分かったような態度や
気持ちでいる御方には、
逆に聞いてみたいです。
旧約聖書にヨブ記という話があります。
地位財産・家庭友人にも恵まれ
順風満帆の人生を謳歌するヨブが
ある時、不治の病に罹かり、
地位財産は失われ、家庭は崩壊
唯一の理解者であった妻も去っていき
醜いホームレスに成り下がります。
ある時、彼の窮乏を聞き
彼を慰めようと
遠方より3人の友人がやってきます。
全てに見放された
天涯孤独・貧窮下賎のヨブは
友の来訪に喜びます。
当初、友達は彼に同情し
慰めますが、そのうちに
彼に「説教」を始めます。
至極もっともな言葉で、
「彼の為に」「彼を自立させようと」
本人達も自覚しない内に、
上から目線でヨブにがんばれよ!と
「説教」するのです。
ここにヨブは、彼らの傲慢さと浅はかさを
見抜き、彼らを遠ざけます。
友達は、落胆してヨブから去っていきます。
いよいよ、ドン底まで堕ちて
神からも見放されたという時、
彼は神を見、神と対話をするのです。
最終的にヨブは、全てを得るのですが
それは何を得たのか?
上記の写真、内村鑑三著の講演録を
一読おススメします。
あの世の裁判官・閻魔大王は
なぜ、すさまじい形相なのか?
大王は、死者を裁く前に
自ら煮えたぎった熱湯を飲んで
徹底的に自己内省してから
裁判に赴くのだそうです。
あの顔は、煮え湯を飲む
苦悶の表情なのだそうです。
現代は、
分かった気・悟った気で、
人を裁く輩が多すぎます。
それこそ、ゲスの極みが多すぎる。
自分に甘い人間ほど、人には厳しい。
苦悩の只中におられる御上人様の
尊いお手紙を読みながら
生きていくこと、
地獄を見た人間の謙虚さ、優しさ、
人に助言する意味、寄り添う意味について
感じたことを書いてみました。
コメントをお書きください