秋晴れのお彼岸、
私が20代の頃、お寺で一緒に暮らした
お爺さんのお墓参りに
高速を飛ばして行って参りました。
家庭の事情で故郷を離れ、
千葉のお寺にやってきたのは
御年70代の頃。
シベリア抑留から生還された
経験があるだけに、お体は丈夫で
掃除などお寺の仕事も頑張っておられました。
数年後、ご自身の老化を理由に
お寺側の引き留めを辞退して
老人ホームに入居されました。
私が車を出して
荷物と一緒にホームまで送り届けました。
入居部屋は、大部屋で病室のような所。
徘徊する方がいるので、夕方5時以降は
部屋の入口に鍵がかけられてしまうとの事。
国民年金とわずかな軍人恩給のみでは
その部屋に入居するのが精一杯だったのです。
お寺へ戻る車のバックミラーに
いつまでも手を振るお爺さんの姿は
思い出すたびに辛い記憶です。
その後、時折面会に行って
好物のうな丼を食べに
外へ連れ出しては、生活の様子などを
伺いましたが、満たされた生活では
なかったようです。
2年ほど入居した後、千葉県内に住む
疎遠だった息子夫婦より声がかかり
夫婦宅の近くのアパートで独り暮らしを始められました。
それは良かったと私も安堵し、
数か月後、アパートに訪ねていきました。
だいぶ足腰が弱っていましたが
お独りで元気に生活されていました。
たまに息子の嫁さんがおかずを差し入れて
くださるそうでしたが、関係が良好とは言えず
ほとんど独りでいる事が多いと
寂しそうでした。
それから歳月が過ぎ、千葉県から
遠く離れた故郷に戻られたハガキを頂きました。
離れて暮らしていた長男と二人で
暮らすことになったとの知らせでした。
待ちわびた帰郷でした。
人生の最後に故郷に戻られて本当に良かった。
お爺さんを知るお寺の関係者も一様に
安堵しました。
数回ほどお爺さんが暮らす故郷の
アパートへお邪魔しました。
杖をつきながらも、元気な笑顔で
出迎えてくださいました。
年賀状や暑中お見舞いなど
ハガキや手紙のやり取りをしながら
数年の月日が過ぎた頃、
息子さんから知らせのハガキを頂きました。
息子さんと温泉旅行に出掛け
戻られてから数日後に亡くなったとの事でした。
お寺で生活している頃、千葉医大に
献体を申し込んでいましたが
晩年は本人の意思で取り止めたそうです。
お墓があるお寺の住所を聞き、
その年にお墓参りに伺いました。
早くに亡くなった奥様の戒名と並んで
お名前が彫られていました。
2回目となる今回の墓参。
墓石は眩しいほどの夕陽に照らされ
周りにはコスモスの花が咲き誇り
赤とんぼが飛んでいました。
墓前にしゃがみこみ、手を合わせ
線香と好きだったお酒を供え
しばし、お爺さんと会話しました。
生前、よくハガキを頂きました。
几帳面な文字に
いつも同じような文面で
どうしようもない我が身と、己の不徳、
どうぞお見捨てにならずお助けください、
というような意味合いが書いてありました。
お爺さんの来し方と、境遇に同情しながらも
私のような若造に、人生の大先輩が
なんて情けないことをお書きになる、
と思った事もありました。
けれど、今回、墓前に手を合わせながら
痛いほど、その気持ちが分かりました。
孤独と絶望の中で、最後まで生き抜いた
お爺さんの気持ちを深く噛みしめました。
この世は無常といいますが、
いつどこで人生はひっくり返るものか
分からないものです。
だからこそ、人の情けが身に沁みたり
人の繋がりに深く感謝したりするものなのだと
思います。
ご縁のあった先人の墓参をするたびに
見守られている温かさと、人生の導きを
感じています。
コメントをお書きください