『無私の日本人』

堺雅人主演で映画化もされた

『武士の家計簿』の著者・磯田道史氏の

著書です。

友人僧侶に紹介されて一気に読了しました。

読むのが遅く、読書に疎い私が

日本人として奥深いところを刺激され

のめり込むように読ませていただきました。


磯田氏は昭和40年代生まれの同世代。

私の主観ですが、40年代生まれは

日本人としての美徳を皮膚感覚として

実感できる最後の世代だと思っています。


この本のあとがきに共感できた部分を

謹んで抜粋させていただきます。


「この国のありようをみるにつけ、

 千の理屈をいうよりも、先人の生きざまを

 そのまま辿ったほうがよい、と感じることが

 多くなっていた。・・・・・・・


 これからの日本は物の豊かさにおいて、

 まわりの国々に追い越されていくかもしれない。

 いきなり、大きな話になるが、この10年で

 お隣の中国は国内総生産が四倍になった。

 韓国はあと十数年で日本の一人当たりGDPを

 追い抜くともいわれている。

 

 その頃に、南海トラフでも動いて、

 太平洋ベルトに大きな津波被害をうければ、

 国の借金は国内で消化しきれなくなって、

 高い利子で他国から資金を借りてこなければ

 ならなくなるだろう。

 そうなれば、大陸よりも貧しい日本が

 室町時代以来、五百年ぶりにふたたび現れる。

 

 そのとき、わたくしたちは、どのような

 ことどもを子や孫に語り、教えればよいのか。

 このときこそ、哲学的なことどもを、子どもに

 きちんと教えなくてはいけない。


 いま東アジアを席巻しているものは、

 自他を峻別し、他人と競争する社会経済の

 あり方である。

 大陸や半島の人々には、元来、これがあって

 いたのかもしれない。競争の厳しさとひきかえに

 「経済成長」をやりたい人々の生き方を否定する

 つもりはない。

 彼らにもその権利はある。

 

 しかし、わたしには、どこかしら、それには

 入っていけない思いがある。

 「そこに、ほんとうに、人の幸せがあるのですか」

 という、立ち止まりが心のなかにあって、

 どうしても入ってゆけない。


 この国には、それとはもっとちがった深い哲学がある。

 しかも、無名のふつうの江戸人に、その哲学が

 宿っていた。

 それがこの国に数々の奇跡をおこした。

 わたしはこのことを誇りに思っている。


 この国にとってこわいのは、隣よりも貧しくなる

 ことではない。ほんとうにこわいのは、

 本来、日本人がもっているこのきちんとした

 確信が失われることである。

 地球上のどこよりも、落とした財布がきちんと

 戻ってくるこの国。ほんの小さなことのように

 思えるが、こういうことはGDPの競争よりも、

 なによりも大切なことではないかと思う。


 時折、したり顔に、

 「あの人は清濁あわせ呑むところがあって、

 人物が大きかった」などという人がいる。

 それは、はっきりまちがっていると、わたしは思う。

 少なくとも子どもには、ちがうと教えたい。


 ほんとうに大きな人間というのは、

 世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、

 ほんの少しでもいい、濁ったものを

 清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である。

 この国の歴史のなかで、わたしは、そういう大きな

 人間をたしかに目撃した。その確信をもって、

 わたしは、この本を書いた。」