生天目御上人様の追悼集より

(御上人様亡き後、雄大なヒマラヤを背にした世界一の御仏舎利塔が建立されました)


ご友人が寄稿した追悼文を

謹んで掲載させていただきます。

数多い追悼文の中で

私はこの方の文章を

何度も何度も繰り返し読んでいます。

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「天竺の空のひとへ  K・R


関東はとびきり蒸し暑く

寝付かれない夜が続いていました。

いつもより遅く起き、公園で新聞を読んでいると

「釈迦生誕地で日本人僧射殺・・・」

一瞬息が止まりました。

(すぐ北海道の友人に電話しなくては・・・)

と思い部屋に帰ると、

「なべが撃たれて死んだ。

すぐルンビニに行くから」という電報。

まだ信じられぬまま直ぐ友人にファックスを送り、

多くの叫びと悲しみに包まれているだろう

あなたへ届けてもらいました。


あなたからの手紙ではっきりと記憶している

言葉があります。

その日の夜中、100も200もある手紙の中から

その記憶をたどり、あなたの筆跡だけを捜しました。

80年から93年まで9通の手紙を見つけ

不思議と涙はないまま何度も読み返しました。


なべ、本当に迷って、悩んで、悩んで出家したのですね。

82年、出家する少し前茨城の実家近くに

無門堂と名付けた家を借り、ヒンディー語を学んでいた

あなたから、南インドで肝炎になり療養していた私への

手紙にあった

「やさしく、決して裏切らないという、

いつでもやさしく見守っていてくれる大きな愛・・・・

こういう旅を続けて心は限りなく解脱へと向かってゆくのだと思う」。

そう、それはあなたそのものなのですね。


あなたと初めて会ったのは確か76年、

信州過疎の村で、夏でした。

あなたも私も旅していました。

自分で作った木の背負子に笛とわずかな旅道具をつけ、

いつも姿勢は真っ直ぐで、蚊も殺さず、板の間に

そのまま寝ていましたね。

そして、松本の大きな枝垂れ桜の下で、バンコクの空港で、

茨城の無門堂で、千葉で、

あなたが入院していたバンコクの病院で、

町田で、飯能で、新宿で、

不思議なくらいあなたと会った数少ない

ひとつ一つを鮮明に記憶しているのです。

またある時は栃木のアジア学院でボランティアを

していたとき、日本山のお上人が訪ねて来られ、

これからインドに行く、というので手紙を託したり、

渋谷の日本山妙法寺に電話すると、たまたまあなたも

帰国しており、電話口に出てそれは驚いたことも

ありましたね。

いくつもの縁が結んでいてくれたように思います。


あなたと最後に逢ったのは96年8月。

あなたはネパールに帰る2日前、私はオーストラリアに

旅立つ1週間前に新宿御苑で会うことができました。

和風庭園のわきに座り、

「いいなあ、こういうものをルンビニにも造りたいなあ」

と言いながらあなたは本当に遠くを見つめていましたね。

(ああ、もう暫く逢わなくてもよいなあ)

と思ったのを覚えています。

そのときあなたは、現世のはるか遠く、こうなるかも

しれなかったことも見ていたのでしょうか?

あと10年したら、私ももう少し精神的、内なることも

語れたかもしれませんが、その前にあなたは

逝ってしまいました。


49日にあなたの死を認めざるをえなかった

とはいえ、これほど辛い死はかってなく、

まだ涙も乾きませんが、多くの人々に愛され、

愛を与え、釈迦生誕地で逝ってしまったあなたは

幸福なひとです。

そしてまたわたしも、何年も逢わなくとも

便りがなくても安心していられる、

そのような絶対的な信頼のある人に、

生涯において出逢えたということは幸福なことでした。


あなたが以前言っていたように

「必要なときに、必要な出逢いがある」

としたら、あなたとの出逢いはそのようなもの

だったのでしょう。


来春からタイの村へしばらく行ってきます。

湿潤熱帯の水辺の村に暮らすというのは、

私の10年以上の夢だったから。

あなたは「まだ旅をしているの?」

とあきれながらも、きっと天竺の空から祝福して

くれると思います。


7月下旬、体に熱を感じました。

あなたが空から見ていてくれるのがわかったから。

その時わずかですが、心がいやされたように感じました。

しばらくはあなたと旅しようと思います。

あなたの古い友人、まだ会わぬ人、かって歩いた大地、

見知らぬ光景をあなたと歩こうと思います。


今、私は多くのことを学んでいます。

あなたの存在について、死について、誠実であるという

ことについて。

あなたの魂は天上から、あらゆる人、生命、

見えないものをまあるく包み込み、私はいつか、

深く暗い森の霊気のひとひらとなって死んでゆこうと思う。


夏に生まれ、夏に得度し、夏に逝ってしまった人へ。  合掌三拝