生天目御上人様 第19回忌

7月3日は、ネパール・お釈迦様お誕生の地、

ルンビニにて殉教された生天目御上人様のご命日です。

御仏舎利塔建立に精進されておられた最中、

暴漢に襲われお亡くなりになりました。御年44歳でした。


生天目御上人様は茨城県岩間のご出身です。

私は生前にお会いするご縁に恵まれませんでしたが、

同郷の先達にこのような生涯を全うされた

お坊さんが居たことに衝撃を受け、

また非常に親しみを感じており、

折に触れて追悼集を拝読しています。


追悼集の中から

出家前にご実家へ宛てた

お手紙の一部を謹んで紹介させていただきます。


「少し世界に目を向けて下さい。

 その日の食べる物もなく得るあてもなく、

 希望もなく飢え苦しむ人々のことを。

 

 路上で生まれ路上で生活し、

 慰めの言葉を聞くこともなく

 一人死んでゆく人間のいることを。

 

 世界の半分以上は今でも満足に

 食事が出来ないでいるのです。

 日本においては全ての物は満たされ

 欲すれば何でも手にはいる。

 食べ物は食卓からこぼれ落ち、

 残り物は惜しげもなくゴミ箱へ。

 食べ物の三分の一以上は、腐りひからびてしまう。

 着る物も毎年毎年、山の様に集め二、三度着ては

 箪笥の底。

 生涯かかっても着れるものではない。

 それでも新しい着物が欲しい。


 日本人はつくづくと主体性のない民族です。

 何でもかんでもみんなと一緒でなければ気が済まない。

 世間様に申し訳がない。

 みんなのしていることが正しいことだと思い込んでいるのです。

 自分の内に何か生きることの、生き方の信念があれば

 その通りに生きていくのが、素晴らしいのだと思います。


 自分の思いを自由に生きるということは、

 なかなか大変なことです。

 しかし、自分で選んだ道を途中で投げ出すことは最悪です。

 見た目にどれほどつまらなく馬鹿げたことでも、

 自分が一度決心したなら最後まですべきです。

 問題は結果にはないのです。

 もし、結果を期待して何かをすれば

 失望は大です。


 毎日毎日、一生懸命自分の仕事をすれば

 いいのだと思います。

 結果というのは原因で、原因というのは

 また結果でもあるのです。

 それがいつも同時に起こっていて

 世の中が動いているのです。

 何か、お釈迦様がそんなことを言っていました。」


「もう以前の様には旅はしません。

 時が来ればお寺に帰ります。

 機の熟すのを静かに待ちます。


 釈尊が説き世界中のあらゆる神々が

 教え示された、滅びることのない道を

 生きていきます。

 

 それは一人の百姓の中にもあるし、

 鳥たちの歌の中にもあるし、

 石や土の中にもあります。

 お寺や僧の中にばかりあるとは

 限らないのです。

 

 信仰が大切なのです。

 簡単に言えば正しく生きることです。

 大工が鉋の歯を研ぎ百姓が草を取る、

 この様な何でもない日常の生活の心遣いの中に

 信仰の素晴らしさがあるのです。」


 「命あるものは全ていつか

  この世と離別しなければなりません。

 その日のために動じない心を養うことが

 大切です。

 

 何故なら無常はとても迅速で、

 誰もどうすることも出来ません。

 覚悟(これは目覚めるという意味ですね) が大切です。」

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出家されてから、御仏舎利塔建立中に

語られたお言葉です。


「・・・今の世界は、金やモノのために

 人間のこころは狂っています。

 でも、蓮の華は泥んこの水の中から咲きいづるのです。

 私はこんな末法の世の中だからこそ、

 この聖地ルンビニーに美しい蓮の華を

 咲かせたいのです。・・・・・・

 ここの大地は百メートル掘っても石がない。

 大変柔らかい地盤です。

 そのため真っ直ぐに、この巨大な塔を建てるのは

 大変難しい。しかし、もし建たないような事態になれば

 そのときは私がこの塔の中に人柱として入ります。」


「・・・夢です。どれだけ大きな夢を見れるかですよ」

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御上人様の意志を継ぎ

その後、多くの方々のご尽力で

今、世界一の御仏舎利塔がルンビニにそびえております。


後日、追悼集の続きを掲載させていただきます。

今日の夕勤は、御上人様を偲び

太鼓を叩きながらお題目様をお唱えしました。