毎月11日は施餓鬼供養を行っています。
東日本大震災の月忌日にあわせて、
有縁・無縁の霊に対し沢山の供物を捧げ
施餓鬼の儀式を施しています。
久遠道場のある身延山内には
かつて全国から大勢のハンセン氏病(らい病)
患者が集まり、この身延川沿いで暮らしていたそうです。
その惨憺たる窮状を目の当たりにした
綱脇上人というお坊さんがある日、
「なんとかしてやれや」という
日蓮大聖人様の声を聴いて一念発起し、
救済施設と病院を建設して、日本のらい病救済の
第一人者となったそうです。
現在は、らい病施設の後身して福祉施設が
運営されています。
道場前を流れる身延川の清流を
眺めていると、かつてこの場所に
病で苦しみ、家族や社会から隔絶され
差別と偏見による二重三重の苦しみ・悲しみ・孤独の中で
亡くなっていった方たちの姿が
リアルに目に浮かぶようです。
今月は、思うこともあり
その方々の供養を中心にして
日本・ネパール大震災殉難・その他の萬霊に
供養を行いました。
昔の方が喜ぶような供物として
和食を中心に、ヒジキ煮や高野豆腐の煮しめ、
インゲンとジャガイモの煮物、きな粉餅などを
朝からこしらえ、季節の果物やお酒・ジュースも
お供えしました。
妻も仕事が休みだったので
一緒にお経を唱え、鎮魂の舞を舞ってくれました。
供養の儀式を終えると、こころなしか
御宝前の雰囲気が明るくなり、
供養の志が届いている感覚がありました。
ささやかな供養ですが、
毎月この儀式を終えると、
心がホッと一安心します。
とかく葬式・法事仏教と
揶揄されがちな日本仏教ですが
日本仏教の本領発揮は「供養」に尽きるのでは?
と最近考えています。
供養の威力は、亡き存在の癒しや救済だけでなく
供養を捧げた生者にも、加護や助力という形で
現れてきます。
日蓮大聖人様のお示しです
「人にものを施せば
わが身の助けとなる」
生者だけではなく、
精霊に対しても同様のことです。
「供養」に真正面から取り組み
アプローチできる方法を持つのは
宗教界・精神世界の分野でも
日本仏教だけではないかと思うのです。
目に見えない存在に対し
どこまで真剣に通じ合える働きかけを
行っていけるか、
常に試されているのです。
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