マザーテレサの苦悩を追った
ドキュメンタリーを観ました。
生ける聖女として世界中から
尊敬を集めたマザーの知られざる
苦悩と内面を初めて知りました。
ダージリン行きの列車の中で
神の啓示を受け、教会での安泰な暮らしを捨て
もっとも貧しき人々の救済に身を投じていった事は
周知の通りです。
「小さき者よ
こちらへ来て
貧しき者の穴の中に
私を運びなさい
私の光となれ
彼らの魂を私のもとへ」
二度目の召命(啓示)であるこの声は
長年秘密にしてきたそうです。
生前のマザーは、神に対する疑いと
信仰を持つ意味、絶望的な孤独に
苦しめられ、たびたび信頼を寄せる
神父様にお手紙や告白をしています。
「私は主のものなのに、
主は私に応えてくれません。」
一般に認識されているマザーと
実像のマザーの違いに、多くの方が
驚くかもしれません。
マザーの写真を撮り続けたインド人はいいます。
「神に近づくほど
逆に神との距離を感じるようになった。
それを悟っていくのが彼女の人生だった」
「深い孤独と絶望を抱えながら
神の愛を世界中に与えることができた。」
「彼女は、会う人の全てをお見通しだった。
偉大な指導者や聖徒が為す
最も大切な行いとは、人を真の姿に戻すことだ。
私も彼女よって真の姿に戻ることができた。」
聖者にも、人知れず苦悩と絶望がある。
それを非難したり、軽んじることは誰でもできる。
けれど、その苦悩と絶望を抱えながらの
行動を共にすることは、滅多にできない。
自分の経験に引き当ててみて
深く共感しました。
20代の頃、お寺に駆け込んできた社会の弱者と
共同生活をしていました。
外からは、良い事をしているね
なんていわれてたけど、寺での人間関係や
改善しない状況に絶望したり、孤独感に陥ったり
駆け込んできた人を傷つけたりと、
逃げ場のない共同生活は面倒で大変で
まあ、外の評価とは裏腹の事も多々あった。
それを非難された事もあったけど、
非難する人ほど何の活動もしない。
聖なるものに触れる人は、みんな
そのことに気づいていたほうがいい。
最後まで神様と向き合い、自分の魂と
正直に闘ってこられたマザーだからこそ
その生涯が尊く美しく、
私達から遠く離れた人ではないんだ、
ということを再認識しました。
コメントをお書きください
吉川 (土曜日, 11 4月 2015 21:27)
先日はありがとうございました。
いろいろ少しずつ変化しているようです。
庵主 (土曜日, 11 4月 2015 21:45)
吉川さん、
変化が現れて何よりと思います。
また、状況報告下さると嬉しく
今後の学びになりますので、
宜しくお願い致します。