魂の復興

11日から三日間、茨城・福島・宮城の海岸沿いを

供養して参りました。

妻に伴走車をお願いし、仙台まで移動しながら

慰霊供養を行い、仙台からは在住の友人僧侶の方や

御信徒さんと共に県内を供養して廻りました。


こうして震災後の活動について

葛藤することが、しばしばあります。

犠牲者の方々へお経を上げるより、

被災者の方々への援助とか、生活再建のボランティアといった

働き方の方が役に立つのではないかと。


そう思って、泥のかき出しや写真の洗浄などの

ボランティアにも参加し、仮設に伺って傾聴させて頂いたり

一緒に体操なんかも行いましたが、

それらに参加させていただいた上で出した答えは、

自分には、僧侶の本分として歩き祈るという形が

一番のお力添えになれるかなと。


初日は、地元の人間として

高萩から北茨城まで慰霊行脚させて

頂きました。

途中、すれ違った30代の女性が

眼を潤ませながら、ずっと合掌して

見送って下さいました。

何かしら感じるものがあったのでしょう。


福島では、昨年の行脚で泊めていただいた

お寺にご挨拶に伺い、ご住職からお話を伺いました。

表向きは皆さん明るく振舞っていても、

胸のうちは辛いものを押し隠している、と

おっしゃっていました。

お寺の眼前には、除染された黒い袋が

昨年のまま置かれていました。


晴れ渡ったいわき市から

磐越道で仙台へ向かう途上の

阿武隈や三春の地域は、一面銀世界の

猛吹雪で、同じ福島でありながら

気候の差に驚くと共に、震災当日は

この大雪に閉ざされた中で、どんなにか

ご苦労をされた事だろうと思いました。


仙台の友人にご案内いただき、

県内各所の海岸にて施餓鬼供養して廻りましたが

4年前の光景とあまり変わらず、復興の遠さを

実感しました。


東京ではこの4年間にスカイツリーが完成し

渋谷ヒカリエなどの巨大建造物が莫大のお金と

人員をつぎ込んで、しかも工期内に完成しています。

オリンピックに向けて、着々と街並みを整備し

復興とは、実は「東京」のことだけではないか!

と怒りさえこみ上げてきます。

東北では、4年経っても道路のかさ上げ工事が

完了したのは岩手の太郎地区一箇所だけ。

宮城のかさ上げ工事は、まだ、土盛りの段階で

いつになったら道路が走るのか、見当もつきません。


東松島の海岸沿いでは、不思議な体験をしました。


この場所も津波で多くの被害と犠牲者が出た所

だそうですが、あまり報道はされない地区だそうです。

周りには、津波で破壊された住宅がところどころに

残っていて、すさまじい爪痕を目の当たりにしました。


海での供養が終わり、車で移動途中、

赤信号の交差点で停止しました。

同乗の御信者さんが、その赤信号を含む周りの風景を

スマホで写そうとした時です。


「うわーっ」と声を上げました。

何が起こったのかと、友人の方と三人で

スマホの画面を覗いた時です。


目の前の赤信号は、通常通り赤色で静止しているのですが

スマホから覗く赤信号は、異常な速さで点滅を繰り返しているのです!

横断歩道の青信号を見ました。

通常通り青で静止しているのですが

スマホから覗く青信号は、猛烈な速さで点滅しているのです!

その時の天候は曇り、反射の影響などもなく

スマホの映像が壊れている訳でもありません。

ちなみに、シャッターを押し写真で見た赤信号は

真っ黒でした・・・ 脇の青信号はちゃんと青で写っているのに・・・


背中がゾーッとしてお題目様を三人で唱えながら

その場を後にしました。

被災地では、このように不思議な体験を

目にしたり体験される方がいるそうですが

私自身は、初めての体験で

改めて「死んでも死なない命・魂」の存在というものを

体感しましたし、だからこそ、供養の継続の大切さを

改めて訴えられた思いでした。


復興!の呼び声は、勇ましくとも

現場では、まだまだ道遠しです。

だからこそ、私は多くの方に訴えたい。

是非とも、被災地(こういう呼び方は好ましくない。)

へ足を運んで、自分の目で見て、耳で現地の声を聞いて

鼻で匂いをかいで、その場所の空気を吸っていただきたい。


日帰りでもいいのです、常磐線も全線開通しました。

この件に関しては微妙なところですので

どの駅で降りるか、その方の判断に任せるにしても

その土地に足を運んで肌で感じた上で

一人ひとりが「復興」について考えてほしいのです。


気仙沼市で荷物片付けをお手伝いした時も

現地の方がおっしゃっていました。

「観光でもいいから、とにかく来て下さい。

ここで、うまいもん食って、温泉はいって

土産買って帰って、現地のことをみんなに

話してください。

それが私たちの復興への心強い力添えになるんです。」


町や物の復興は時間がかかるかもしれません。

けれど、心の復興は、その気になれば

今この瞬間に復興できるかもしれません。

魂の復興も、みんなの祈りで上昇していくかもしれない。


とにかく、関心と気持ちを向け続けること。

それがせめてもの、力添えになると信じています。

そうでなかったら、命を捧げられた

多くの御霊に申し訳がたちません。





















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コメント: 2
  • #1

    美光 (金曜日, 20 3月 2015 05:53)

    このように現地に向かい、ご様子をお伝えくださり、ありがとうございます。
    現状把握していなかった自分自身にまずショックを受けました。
    「忘れてはならない出来事」として意識はしていても、[その後]については日々の生活を過ごしていると薄れてしまっていました。
    現地へ伺うことは、今は出来ませんが、いつか伺うことが出来る日まで、多くの魂の復興に「祈り」を捧げたいと思いました。

    祈り…
    無限の可能性を秘めた力。

    私達は其を持っているのですから!

  • #2

    妙法庵 (金曜日, 20 3月 2015 17:25)

    美光さん
    そうですね、祈りの無限の可能性を信じたいです
    復興の祈りにいつも同調くださり、有り難うございます。合掌