大好きな俳優さんでした。
自称”超昭和”な私は
中学生時代から健さんの映画が大好きで
憧れの男性像でした。
僧侶の世界に入り、戸籍上の名前が
法拳(ほうけん)に変わってから時折、
「けんさん」と呼ばれることがあると
嬉しく感じたものです。
数年前に亡くなられた「緒形拳」さんも
大好きな俳優さんで、同じ「拳」を
誇らしく思ったものです。
もっとも、「けん」つながりだけで
遠く及ばない存在の方々ですが。
一つの時代が終わるだけでなく
日本の尊い心がまた一つ失ったような
寂しさを感じています。
健さんが座右の銘としていた
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
の言葉は、比叡山の故・酒井大阿間梨から
贈られたものだそうです。
この言葉に背中を押され
「南極物語」の出演を決めた、
と聞きましたが、時期的にこの頃は
酒井阿間梨も千日回峰の難行に挑んでおられた
頃ではないかと思います。
回峰行中、酒井阿間梨は師匠から
「往く道は、いずこの里の土饅頭」
の言葉を贈られたといいます。
「酒井よ、
お前が毎日歩くその道が
死出の道だ」
と諭され、その言葉を記した紙を
衣に忍ばせて回峰行をされたと
おっしゃっておられました。
私がお坊さんに憧れた一番最初の
きっかけが、酒井阿間梨さんの
ドキュメンタリー番組でした。
それから15年後、一応僧侶になった私が
酒井阿間梨さんに御礼の挨拶がてら挨拶に伺った時、
天台宗の僧侶になるか迷いましたと告げると
「いやー、日蓮宗で正解だったよ、
日蓮さんも比叡山に愛想を尽かして
山を降りていっちゃったんだから
アハハハ・・」
と、豪快に笑い飛ばして下さったことを
今でも思い出します。
偉ぶったところが全くなく
気さくなお人柄に、やっぱり本物は違うと
感動したひとときでした。
その酒井阿間梨さんも、既に他界されました。
健さんもそのような方だったと
論評などで読みました。
江利チエミさんの墓参も欠かさず
行っていたとのことや、
震災被災者の事を想い続けるために
被災地で水を汲む少年の写真を
台本に貼り付けていたとの事も
初めて知りました。
時代が人を生み育むので
健さんのような人物は
これからの日本に現れるのは
難しいかもしれません。
けれど、同時代を生きた者の矜持として
その精神の一端でも体現し伝えていくことが
これからの日本、そして世界にとって
何よりの財産になるのではないかと
感じ、心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
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