沖縄本島から船で約20分ほどの離島、
久高島(くだかじま)へ巡礼に参りました。
この島は古来より「神の島」と呼ばれ
知る人ぞ知る離島です。
私の知人である禅僧さんも毎年この島で
合宿座禅会を開催しております。
私事ですが、沖縄には少し腰が引けておりました。
20代の頃、修行仲間と激戦地跡や殉難地の慰霊のため
初めて沖縄を訪れ唱題行脚を行いました。
仲間より行脚には自信があったのですが
途中からひどく疲れ、ヘトヘトになり
その晩は食事も満足に喉を通らないほど疲労困憊し
床についても寝苦しくて一晩呻り、転げまわりました。
よく考えるとそれは、戦争で無念の死を遂げられた方々の
訴えや想念の影響だったのだと思います。
その経験から、2度目となる今回の沖縄巡礼は
少々トラウマになっていたのですが
今回は、すんなりと優しく、そして感動的に
島の神々が受け入れて下さいました。
ちなみに沖縄までの飛行機代も格安航空券を使えば
成田沖縄間が片道1万円以下で飛べます。
三日の滞在でしたが、素泊まり宿であれば
実に質素な巡礼ができます。
久高島といえば、イザイホーという儀式が有名です。
12年に一度行われる、久高島で生まれ育った三十歳以上の
既婚女性が神女(神職者)となるための就任儀礼のことです。
基本的にその要件を満たす全ての女性がこの儀礼を通過するため
島を挙げての一大儀式であったようです。
あったよう、というのは
人口減少と高齢化でイザイホーは
1978年を最後に行われていないからです。
記録映像をyou tube等で見ることができますが
神がかった女性たちの高揚感と神秘的な雰囲気が
見て取れます。
今回の巡礼には、団扇太鼓を持参し
島の神々にお題目様をお唱えして回ろうと
したのですが、太鼓を打つのもはばかるくらい
外来の宗教儀礼を不要とするような
完全に調和した島の宗教空間が出来上がっておりました。
神社もお寺もないのです。
あるのは、祠と呼ばれる場所に
自然石で囲った小さな空間が存在するだけ。
でも、それで完璧なのです。
そこに確かに人智を超えた崇高なる存在が
降臨されているのです。
久高は女性が神使いとして島を取り仕切るため
島全体が女性特有の包み込む優しさに
あふれていました。
周囲8キロの島は、独自の水道設備も無く
沖縄本島から海の中へ配管を通し
水を提供しているそうです。
コンビ二などあるはずがなく
商店といえば、民家の一角に
プレハブの日用雑貨を売っているのみです。
外灯も少ないから、夜空は満天の星が降ってきそうです。
おじーやおばーと呼ばれる
地元の高齢者は皆さん優しく挨拶して下さいます。
子供たちも少数ながら、とても元気そうです。
この久高島には、不登校や問題を抱えた
全国の子供たちを受け入れ、共同生活をしている
学び舎があります。
子供たちは毎朝、砂浜まで散歩し
上り来る太陽に向かって瞑想していました。
この学び舎にきて、子供たちは生きる力を
取り戻していくようです。
かつてNHK番組でも紹介され、
私が小僧生活を送った千葉の山寺主催の
夏合宿に来ていた小学生が、この学び舎で
共同生活をしているのを知り驚いたことがあります。
外部資本を取り入れず
近代化や合理化に走らず
全ては神様のものであると、
あるがままの状態で今日まで
島を保ってこられた島民の方々に
心から敬意と感謝を感じました。
何もないけど
一番大切なものはある。
かつて「神の島」「神の土地」は
全国津々浦々にあったのです。
それらを、快適さと便利さの追求のため
排除してきたのは
我々ではないでしょうか。
自然や神様と生きるという
実際のモデルが久高島なのかもしれません。
機会がありましたら
一度、久高島へ訪れてみることを
お勧めします。
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