日本山妙法寺のお会式

青梅市の里山に所在する

日本山のお会式法要に行って参りました。

このお寺は、以前のブログでもご紹介したように

10年来お付き合いのある御上人様の道場で

4日ほど前から泊りこみで準備のお手伝いに伺いました。

 

事故で片足を失って以来、初めての法要で

今年は中止も検討されたそうですが、

御信者様方のご協力もあり、開催の運びとなりました。

 

本堂の飾り付けや掃除、屋根の落ち葉払い、

道場周りの草刈りなど盛り沢山ですが、

お天気にも恵まれ、諸天がお会式法要に向けて

力をお貸し下さっているような流れの日々でした。


そして何より、日本山はお題目様を唱える

御修行を一番大切に心をこめてお勤めします。

 

早朝3時45分に起床し、

洗面後すぐに行うことは、

御妙判の一節(日蓮様の御文章)を

ご寶前にて唱えることです。

これ一つをみても、お寺の生活と

信仰に対する姿勢が理屈抜きに

分かると思います。


その後は掃除、一時間半ほどのお勤め、

御来光遥拝、そして街頭修行に出ます。

街頭修行とは、太鼓をたたいてお題目様を唱え

街中を小一時間ほど歩くことです。

 

これはお題目様の種まき、そして町や土地の

平安と浄化を意味します。

通学途中の小学生などは、喜んで手を振ってくれたりします。

お寺に戻り朝食、それから作業開始、

夕方、お勤めをして、夕飯後、9時過ぎには床に就きます。

 

数年前に水道が開通しましたが

それまでは井戸水や川から汲んできたそうで

今でも風呂はありません。

数日おきに行く銭湯では

家風呂がある有難さを実感します。


本来、僧侶という呼び名は

3人以上集まって修行生活している事を

指すのだそうですが、こうして御上人様がたと

私の三人での数日間は、規律ある中で

信仰の話、人生の話にも花が咲き本当に

充実したものでした。

 

なにより、事故で片足を失われても

義足と杖をつきながら、先頭にたって

御修行を怠らない御上人様の姿は

誰にとっても大きな励ましになります。

 

常日頃、私が思っているのは

お坊さんは、昔も今も乞食(仏教では、こつじきと呼びます)

の存在であるということ。

お布施という、人々の仏性が

お金という形で現れ、それによって

生かされている存在だということ。

 

だから世間で評価される偉いお坊さんも

そうでないお坊さんも

全てがお布施で生きている以上、

乞食であり、例えて言えば

親分・子分の程度なのではないかという事。


それが、地位や名誉を得てしまうと

悲しいかな、仏様の尊さと凡人である自分が

同一の存在のような錯覚をおこし

貴人か有名人のような勘違いをおこし、

傲慢に振舞い、俗より俗っぽい僧侶が

多いのではないかと、

それは私自身への戒めも含めて。


御上人が、不自由な身に

甘んじることなく

ウンウン息を切らしながら

先頭に立ってお仕事をされている姿を見ると

乞食の身だという覚悟が

腹の底から感じられて

お坊さんのあるべき姿を教えられます。


お会式当日は、曇りの予報でしたが

仏天の御守護か、善神の歓喜か、

小春日和のような素晴らしい天候になりました。

遠方より御信者様が集まり、

山梨県から日蓮宗のご住職様も参詣され

733遠忌の報恩お会式法要をお勤めしました。

 

最後の御上人様の御法話は

いつにもまして感動しました。

昨年、12月に交通事故に遭われた際

私はインドのリシケシを巡礼中で

一報を知らされても、すぐに駆けつけることが

出来ず、恩師の身を案じるばかりで

目の前を流れるガンジス河を茫然と見つめていました。

 

なぜ、あんなに真摯に御修行されている

御上人様が、むごい事故に遭わねばならぬのか

そんな想いや、さまざまな思考と感情が

入り乱れていました。


その御上人様が、こうして

片足を失いながらも、見事に復帰して

こうして再び御信者様がたと

再会をはたしておられる。

片足を仏天に御供養することによって

さらに日蓮様の事を深く思い、

身にせまるようになってきた、と話されていました。

 

そして入院中、年配の御信者さんから

頂いたお見舞いの一節に

「足を失ったのも仏様の御慈悲」

という意味の事が書かれており、

その一節に深く救われたとも話されておりました。

 

この御信者さんは、20数年間、

お会式法要のお花作りやお手伝いを御奉仕され

毎月のお題目講にも欠かさず参詣され、

御自身も深い人生の苦難を乗り越えてこられた

篤信の御婦人だそうです。

 

その信頼関係があったからこそ

御上人様に伝えられた一節であり

お互いの心に響き渡るものがあったのでしょう。

 

このお会式法要の日(10月19日)は、

私にとっても大変意味深い日でした。

ちょうど一年前のこの日、

約5年間お勤めした本山を

下山した記念の日でした。

 

荒れ果てた本山復興の願いを持ち、

その一分でも願いが果たせた時期に

けじめをつけて、下山を決意しました。

周りからは、保留の勧めや、今後の進路、

生活の見通しなどを不安視する声もありました。

 

そんな中、下山の決意を伝えた

この御上人様だけが

[それはありがたい、おめでとう!

今回の事は、法華経の色読(身をもって法華経の教えを証明すること)だよ!」

と門出を祝福して下さいました。

その一言に、本当に救われました。

 

その一年後に、こうして

青梅の里山でお会式を勤められる

お導きに深謝し、その夜は

御上人がたと祝杯をあげました。