今回の御嶽山噴火では多くの方々が亡くなられ
ニュースを聞くたびに胸が痛み、手を合わせて祈る毎日です。
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ご依頼を受けて、通夜・葬儀の導師を勤めて参りました。
まだ40歳という若さの男性、高校生の長男さんが喪主でした。
誰からも好かれるお人柄だったそうで、
会社関係・ご友人など150名を越す弔問者が悲しみのお別れに
訪れておりました。
臨終の悲しさは老いも若きも変わりませんが
それでも年若い方の臨終は、悲しみが一段と深まります。
出棺の際に、車椅子のお年寄りや小さなお子さんが
涙にくれる姿を拝見した時には、私も思わずこぼれそうに
なりました。
檀家を持たない私は、葬儀を勤める事が滅多にありません。
それでも、たまにご依頼を受けて、こうして悲しみの現場に
立ち会うたびに、素直な感情でなんともいえない気持ちになります。
お坊さん=葬儀=お金、
と勘ぐる方は、はしたない言い寄りをしてきますが
とんでもない勘違いです。
人様の悲しみに立ち会うこと、ご供養を勤めること、
これらに、どれほどの覚悟と責任が必要なことか。
特にご依頼を受ける葬儀では、故人やご遺族と初対面が
ほとんどです。
一期一会の儀式ですので、詳細は記しませんが
私は葬儀の準備段階と葬儀後帰宅してから、
供養も含めた懇ろな儀式を勤めております。
それが故人への誠意であり、ご遺族へのせめてもの慰めであり、
導師としての責任であり、仏様への帰依だからです。
帰りの車中ではドッと疲れが出て、口を空けたまま
爆睡していました。
「今日までは 人のことだと思ったが 俺が死ぬとは
こいつは たまらん」
と、一休さんがおっしゃったそうですが
最後をどのように見送っていただくか?
誰しもの命題です
今回の故人は、棺の中を美しい花々で囲まれ
沢山の同僚や家族に泣かれながら見送られました。
涙の別れあり、ちょっとした笑いの別れあり、
ゆっくり休めよ、という励ましの別れあり、
そのお人柄を垣間見たお別れでした。
遺影の瞳が、菩薩様のように見えたのは
私だけではなかったと思います。
微笑みながら、肉体からの自由を得られている事と存じます。
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