我以外みな師なり

私が出家した師匠のお寺は、現代の駆け込み寺でした。

心の病、アル中やヤク中、不登校、引きこもり、不良や少年院あがり、

サラ金逃れ等、様々な老若男女がお寺にやってきては

寝食を共にしました。


私が小僧生活を始めて間もない頃、

統合失調症の女性がやってきて

お寺の生活を始めました。


性格は優しく穏やかな女性でしたが、

病状と投薬の影響で、動きが緩慢であり

生活全般にも支障がありました。


昼食はお寺に起居する者が

当番制で作るのですが、

彼女がチャーハンを作ってくれた時のこと。


材料を包丁で切る時に指をやってしまったのでしょう、

出てきたチャーハン皿の周りに

血糊が点々とついていて

のけぞった思い出があります。

でも、彼女が真心こめて作ってくれたお昼ですから

私も含め皆、血糊を避けながら美味しく頂いたものでした。


一事が万事で、仕方ないと理解していても

同じ屋根の下で毎日暮らす身となると

迷惑がったり、イラつくこともあり、

「何をやっても駄目な人だなあ」と

内心思っておりました。


そんなある日、トイレのペーパー口が

きれいな三角に折られている事に気づきました。

ちょとした気遣いが、後から使用する人にとって

使いやすく嬉しいものです。


使う度に、きれいな取り出し口を

折ってくれていた人、

それは彼女でした。


私はそれまで、ペーパーをそんな風にした事がなかった。

その時、内心で彼女を軽んじていたことを詫びると共に、

自分の自惚れを恥じ、

以来、今日までトイレの後は紙を折る習慣がつきました。


どんな人でも、

私が知らないこと、出来ないことを

何か一つはもっている。

彼女から大事なことを学ばせて頂きました。


それから数ヵ月後、彼女は病院に再入院し

その後お寺に来ることもなく、消息が絶えましたが

トイレの三角折を見るたびに思い出す

有難いエピソードです。