妙法庵の前に広がる黄金の稲穂。
今日は、家族、親族、ご近所の手もお借りして
稲刈りを行いました。
コンバインで一気に刈り終える農家が多い中、
うちは「こだわり」があって、
一部を除いては、すべて天日干し。
オダギといって、竿に稲束をかけて
十分乾燥させてから脱穀します。
手間暇かけ、重労働でもありますが
この方が確実に米が「旨い」らしいです。
常時、高萩に居ない私は
田植え、稲刈り、稲こき(脱穀)の時に
手伝うくらいなのですが、
老体の両親が重労働の農作業を
黙々とおこなう姿を見るにつけ
改めて、農業の厳しさと
一粒の米を頂く尊さを
理屈抜きに実感します。
子供の頃は、農家が嫌で嫌で
たまりませんでした。
日曜日といえば、両親は田畑へ、
当然、子供の私も半強制で手伝い。
友達は、お父さんとキャッチボールや
デパートへ買い物に行って遊んでいるのに
なんでうちは、重労働して、かっこ悪い農業を
しなくちゃいけないのか・・
うちの田んぼは通学路の脇にあるのです
学校帰りの友達に、田んぼで作業している姿を
見られるのも恥ずかしくて本当に嫌でした
肥料として、牛糞を田んぼに撒いてる姿などを
見られた日は最悪でした
夏の田んぼの草取りは、炎天下の元
暑いし、腰は痛いし、永遠と続くような
地道な作業が発狂するほど苦しく感じ
農業なんて糞くらえ!と本気で思ってました
高校生になってから、農業関連の本を読んだり
農業の映画を見た影響もあって
自主的に手伝うようになり、意識も少しづつ
変わってきました
今、僧侶として
一応たっていられる
その精神の基盤となっているのは、
農家に育ち、身体で教え込まれた
土のお陰だと間違いなく言えます
明日も一日、稲刈りが続きます
妙なる田んぼから身体で教えを
頂いてきます。
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