徹する美しさ

日本山のお上人様とご信者さんが

一泊二日でお泊りに来られました。

直前までの悪天候が

あっという間に収まり、

過ごしやすいお天気の中で

各所のお参りが叶いました。


仏天のご加護でしょう、

修行を積んでおられる

お上人様の功徳だと感じました。


御廟所の砂利道に座って

お題目様を唱えていると

幾人もの僧侶やご信者さんが

御廟所拝殿にてお参りする姿を

目にします。


日蓮聖人を慕ってお参りに

来ているようだけれど、

果たして、どれだけの人が

日蓮聖人の御心に沿った生き方を

しているだろうか?


「日蓮宗は、お題目一本に

なりきれないんだよなあ」


「今の日蓮宗や日本山は、

日蓮聖人の宗旨と名乗れる

資格があるのか?」

お上人様はポツリとおっしゃいました。


沢山の檀家さんを連れた

お寺のご住職が御廟所で参拝されてました。

ご住職と副住職のみが早い調子で読経し

檀家さんたちは黙って後ろに立っておりました。

なぜ、一緒に唱えられるように

ゆっくり読経しないのだろうか?

お題目だけで良いから、みんなで

一緒に唱えたらいいのに。


参拝を終えた団体が

我々の前を通り過ぎた時、

ご住職の横顔を拝見した私は

ゾッとすると同時に、

合点がいきました。


まるで鬼神が取りついているような

険しく妖しい人相でした。

あきらかにご祈禱や霊感に

こだわっている御僧侶です。


ご祈禱を主にする僧侶は

すぐに人相で分かります。

修行を積んだ、清々しい人相ではないのです。

分かりやすくいうと、祈祷の霊験と

交換条件で、鬼神に己の魂を

売り渡しているのです。

そして、色々なものを

背負ってしまう。

だから人相が妖怪のように

なってくるのです。


人相が悪い坊さんには

近寄らないほうがいいです。


確かにご祈禱は一時的に効きます。

しかし、悟りを得ていない守護神たちと

深入りする代償は大きいのです。

だから昔からよく言うのです

「祈祷師は狂い死にする」と。

狂い死にせずとも、本人か家族に

厄介な難病や病魔が現れます。


私は、僧侶の世界に入って20年間、

嫌というほど、そういう祈祷師の姿を

見て参りましたので確信をもって言えます。


沢山の檀家さんは、きっと

ご住職の祈祷に救われていて

カリスマ性も感じているのでしょう

それが日蓮宗の素晴らしさだと

勘違いしているのでしょう


しかし、それは一時的なのです

お題目だけに徹することができない、

手っ取り早く、ご祈祷でご利益を頂きたい

そんな信仰、日蓮聖人の宗教でもなければ

お釈迦様の教えでもない


日本山のお上人様は

お題目様に徹しています

日蓮聖人に、少しでも沿うことが出来るよう

徹底した生き方をされています

だから、美しいのです

人相に暗さや妖しさがない

瞳に輝きがあるのです


徹するというのは

己に対する厳しさを求められます

損得勘定抜きに、仏様と差しの覚悟が求められます

それに生涯向かい合っていくのが

僧侶という生き方だと思います


愚僧の私は、日本山のお上人様と

一緒にご修行させていただく度に

この命題と向き合っております