24日、師匠寺のお施餓鬼法要に
出仕して参りました。
本年、新盆に当たるご家族や
檀家の皆様が本堂一杯に集まり
皆で亡き方の供養を営みます。
懐かしい人々と
再会の一日でもあります。
施餓鬼とは、文字通り
餓鬼に施す法会。
餓鬼道に転落し
苦しんでいるのは死者だけでなく、
欲望まみれの私たちかもしれない。
否、自ら餓鬼になれ果てているのにも
気付かない生者の方が、救われがたいのかも
しれません。
僧侶は食事の際、ご飯粒を少々取り分け
諸霊に供養する「生飯(さば)」という
作法を行います。
これも施餓鬼の一つ。
韓国では、一般家庭でも「コシレイ」といって
このような作法をするとお聞きしました。
施餓鬼を常日ごろ行っている者は
自らが窮地に陥った時、餓鬼が
手助けしてくれると昔から伝えられています。
そんな御伽話、と思うかもしれませんが
伝承というのは、事実の積み重ね。
私自身も、そう実感する体験をしております。
施しとは、見返りを求めるものではない。
give and takeの本当の意味は、
ひたすらgive,give,give・・・だそうです。
見返りを求めず、与え続ける中で
自らが窮地になった時、ひょんと
素晴らしい助けを take
与えられるもの、という法則の事だそうです。
24日は地蔵盆、
お盆の締めくくりの日でもあります。
師匠寺の法要を終えて、夕方からは
先輩のお寺に伺い、送り火の法要を
御一緒させていただきました。
通常のお盆がご先祖様や有縁の方々の
供養とすると、地蔵盆の日は
お会いしたことがない方々、直接関わりは
なかったけれど、供養を待ち望んでいる
多くの諸霊に供養の法味を捧げる日です。
送り火の煙に乗って、
諸霊が仏様の世界へ帰っていくような
幻想的な夕べでした。
地蔵盆が終わり、季節は少しづつ
秋風の方向へ、彼岸までの暑さを
もう少し味わいたいものです。
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