恩師からのお手紙

事故により片足を失われた御上人様から

頂いたお手紙の一部を謹んで掲載させて頂きます。


「せっかく今生に生を頂いて

なおかつ、発菩提心(仏道を求める心)の

宿善(過去世からのご縁)を頂いた私共です。


命ある限りは、自らが

「顛倒(邪で、物事をさかさまに見ている)の衆生」

「末法の狂子(現代の我々)」としての自覚に立ち

「是好良薬(お題目様のこと)」を

一心不乱に服受すべきではないのでしょうか?


もし霊山浄土に似たらん風光が現在前するとすれば

その「狂子(我々、現代人)」が

毒気深入の「病者」が良薬によって

癒された時です。


大寺院の住職や、えらい肩書きをもつ僧侶となって

得々とされている姿こそが

「俗よりも俗なり」と

唾棄されている御姿ではないのでしょうか?


片足を一本失いまして

日蓮聖人様が新たに我が心中に蘇ったような

感動を覚えました。


これ、我が肉身の片脚一本を

天界に供養して獲た

最大の利益でありました。


五臓六腑を持った肉身の日蓮聖人様は

何故にかくも軽々と我が身命を

捨てる日々を過ごされたのか?


肉身の命を捨つるに何故に

かくも無頓着に「死身弘法(命を捨てて、教えを広める)」

されたのか?


今にして漸くに、この疑問が

我が魂魄につきささりました。


40余年の歳月を宗門に送りながら

それまでの我が日蓮聖人様像は

全くの虚像であったかと思う程に

新たな日蓮聖人様が我が心中に

蘇りました。


嬉しい事です

嬉しい事です


その為の化導(みちびき)として

佛天は神さまは

小子の脚を一本

切って下さったのかもしれない。


百年生きたとて、互いに明日の命です。

「一生虚しく過ごして

 万劫悔ゆる事なかれ」と

日々祈ります。 合掌